雑学大典 -58ページ目

褐色の恋人より

朝食のテーブルに「スジャータP」がある。
どこのスーパーにも売っている、
コーヒー用のコンデンスミルクである。

そういえば、スジャータって何でしたっけ。
たしか、インドの伝説中の女性の名前?

 「スジャータまつり」
 (釈尊おさとりの牛乳供養の日)
 お釈迦さまがシッダルタ王子と呼ばれた
 若い時,人間を苦しみから救い幸せにする
 道を見つけるため飲まず食わずの修行中の
 山の中から下りてきたとき,スジャータ
 という娘に会い牛乳を飲ませてもらいました。
 これが活力となって人々の幸せを見つける
 おさとりを開かれ,お釈迦様と呼ばれる
 ようになりました。この日が12月8日で
 「成道会」といって仏教では記念しています。

ああ、釈尊との関係でした。
日本でも祭られるほどの重要イベントなんだ。
大須商店街HP内「大須歳時記」からの引用。
http://www.ohsu.co.jp/
http://www.ohsu.co.jp/ohsu/cow.html

なお、スジャータPは名古屋製酪の製品。
大手かと思ったら、聞かない名前の会社だ。
明治製菓とかじゃないんですね。
この商品だけでやっているような会社かな。
と、ホームページを覗いてびっくり。

http://www.sujahta.co.jp/

そうか「名古屋製酪」は略して「めいらく」か
いや、めっちゃ大手ですよ。
乳製品、コーヒー、水、
それに製菓にまで事業展開している。
「波動医科学総合研究所」なんていう
研究機関まで擁していますよ。

各会社のホームページって、覗いてみると、
けっこう驚きがあって楽しいです。
明治製菓はスポーツサプリメントの
「ZAVAS」シリーズのページが
「チョコレートは明治♪」のイメージと
食い違っていて、軽いショックです。

なお、題名は、先日読んだ
欧米でのバレンタインの風習からの連想です。
欧米ではバレンタインとチョコは関係なく、
家族や友人間でもプレゼントを贈り合う、
とはよく聞きますが、
加えて、恋心をうち明けるには
無記名のカードを贈りあうそうです。
それで、筆跡を見て
誰からのカードか考えるそうな。
風雅ですなぁ。

でも「褐色の恋人より」と署名する人は、
相当自分のオリエンタルな魅力に
自信を持っている人ですね。
付き合いづらそうです……

←へぇぼたん。

柿ピーのピー率

柿ピーを食べていた。

袋から手にザッと出して、
いっぺんに口に放り込むのが好きだ。
が、手の上を見ると、柿の種ばかりだ。
ピー率が低い。不満だ。
一対一の割合で混ざったのを、
ボリボリ噛むのが好きなのだ。
袋から更に出す。
やっぱりピー率が低い。
重いピーナツは袋の底に沈むから、
上にある柿の種ばかり出てくるのだ。
不幸だ。

そこで、今日のお題。

 peanut【名詞】
1 ピーナッツ,落花生,ナンキンマメ
 英国ではgroundnutが普通。earth-nut,
(稀に)monkey nut,
(米国方言で)gooberなどの異名もある。
2 (主に米略式)[~s]
 はした金;つまらない物.
3 (略式)[呼びかけ]
 (通例男性が好きな女性に対して)
 (ねえ)おまえ(honey)
 (sugarより品のない語)
4 [形容詞的に] ピーナッツ入りの;
 (主に米)取るに足らない,卑劣な
(ジーニアス英和辞典)

なんだかあんまり良い意味がないですね。
なお、いま気付きましたが、
pea=豆 nut=ナッツですね。

ピーナッツは花が終わると、
それが地中に潜って、地中で実るそうです。
それがよほど印象的なんですね。
日本では「落花生」
英語は、「地ナッツ」って感じでしょうか。

なお、以前大学の演劇サークルが
大災害で千葉県が孤立してしまう、
という話を上演していました。
劇中、千葉の経済は原始時代に退行し、
落花生が通貨として使われる、
という設定でした。
そう看板に書いてあったので、
よほど落花生が重要なんだと思います。

演劇サークル、ファンキーです。

味醂ダ

一人暮らしを始めてから半年近く経つが、
多忙を理由にまともな食事を作らないせいで、
未だに「野菜炒メシ」と「ごたごた煮」しか作れない。
8000円の包丁とT-FALのフライパンが泣いている。
「野菜炒メシ」はフライパンに肉、野菜、米
すべてぶち込んで醤油で適当に味付けしたものである。
「ごたごた煮」は鍋に同じく全材料ぶち込み
ぐたぐたに煮くたしたものである。
素晴らしいのは、一つの鍋で
野菜も肉も穀物も食えることだ。
洗い物は鍋とスプーンだけで済む。

初めのうちは味がイマイチだった「味噌ごた煮」も
カリスマ主婦の母から「みりんと醤油を加えろ」と
入れ知恵をもらってから、味が良くなった。
偉大なるかな母。

そこで、今日のお題。

 「みりん」
 焼酎に米こうじと蒸したもち米を混ぜ、
 数か月間置いてもち米を糖化させ、
 圧搾してつくる甘い酒。
 アルコール濃度は13~22%と高い。

なに? 酒? なんと酒税法の対象らしい。
江戸時代に飲用習慣があったとは聞いていたが
アルコール度数が高いとは知らなかった。

 みりんに焼酎またはアルコールを加えたものを
 「直し」「本直し」
 あるいは「柳蔭(やなぎかげ)」といい、
 さらりと甘く、リキュール的な酒で、
 夏、冷やして飲む。

秋山裕一先生でした。
私は甘い酒は嫌いですが、
ちょっと飲んでみたいですね。

なお、今日はもう一つオマケ。
「みりん」で検索したら出てきました。

 「ミリンダ王の問い」
 仏教の文献。作者不詳。
 紀元前2世紀後半ころに西北インドを支配していた
 ギリシア人の王ミリンダ(メナンドロス)と
 仏教の論師ナーガセーナ長老(那先比丘)とが
 仏教の教理について問答し、ついに王が仏教の
 教えに帰して出家し、阿羅漢(修行僧の最高位)
 に達した始終を対話形式で述べた書。
 紀元後1世紀前半に現存のようにまとめられた。

 ギリシア的思惟とインド的ないし仏教的思惟との
 対比が行われているところに本書のもつ重要性が
 ある。(田中教照 一部省略)

比較文化論の走りみたいな仏典ですね。
仏教はときどきギョッとするような先端的なことを
紀元前後頃にやっていたりして、驚かされます。
偉大なるかなインド人。

老人参の変貌

家に、パセリの鉢植えがあります。
その鉢をふと覗き込んだら、
根が膨れあがって朝鮮人参みたい。

……朝鮮人参って、なに科だ?
っつーか人参ってなに科だ。
さっそく「人参」を調べる。

 セリ科の二年草

はあ、なるほど。
と、読んでいたら驚きの記述が。

 根は品種によって太さ2~5cm、
 長さは10~20cmの円錐形のものから、
 1メートルになるものもある。

ながっ!
さ、さらに衝撃の事実!

 2年目の春にとう立ちして
 高さ0.6~1メートルになり、
 多数の白色五弁の小花をつける。
 果実は長さ約3ミリの長楕円形で
 多数の短い刺があり、2分果からなる。

二年目で変身!!!
星川清親先生の記述です。知らなかった。
なお「朝鮮人参」を調べたところ、
「ウコギ科の多年草」とのこと。
セリ科とウコギ科も調べましたが、
特に近縁という事は無さそうでした。
またパセリはセリ科。人参と兄弟。
姿は朝鮮人参似なのに。

今回はもう一つ。
「人参」の古名が出てきました。
「かのにげぐさ」と言うそうです。
どういう意味だ???
なお原産地はヒンドゥークシ山脈の麓。
インド・コーカサスとも呼ばれる
インド北方の山脈です。
日本に入ったのは室町時代。

←へぇぼたん。

糖に関する積年の謎

昨日は納豆の原材料名を見ましたが、
高校の化学で勉強して以来、
長年の謎を一つ思い出しました。
「液糖」って何だ?

お菓子の原材料名などを見ていると、
様々な糖類が出てきますよね。
果糖・ブドウ糖・乳糖・ショ糖等々。
そして、これらは化学的組成が
バッチリ決まっています。
炭素原子がいくつ連なっていて、
どこに水素が、どこに水酸基が、
どこが二重結合で……と決まっています。
しかし、そういう化学で勉強した中に
「液糖」っていうのは、無かったよなぁ。

言葉の響きから、
化学的組成とは関係ないと思います。
化学用語というより、
工業用語じゃないかと睨んでいました。

さあ、ついに長年の疑問が解かれる。
調べたのは「砂糖」の項目でーす。

 砂糖を加工したものに、粉糖、角砂糖
 氷砂糖などがある。
 いずれも、グラニュー糖や白ざらを
 原料としてつくられる。
 粉糖は、白ざらやグラニュー糖を粉砕
 したもので、固結防止に可溶性デンプン
 などを添加したものが多い。フルーツや
 ケーキの飾りに使われる。
 角砂糖は、グラニュー糖に、少量の水に
 溶かしたグラニュー糖を混ぜて立方体、
 あるいは各種の形に型押しをしたもので
 ある。
 氷砂糖は氷糖(ひょうとう)ともよばれ、
 グラニュー糖を水に溶解、濃厚な糖液
 から大きな結晶をつくったものである。

 そのほか顆粒(かりゅう)状糖、液糖
 などがある。顆粒状糖は砂糖に微粉糖
 をつけて多孔質にしたもので、冷水
 にも溶けやすくアイスコーヒーなど
 冷たい飲み物やヨーグルトなどに適し
 ている。
 液糖は、砂糖を結晶させる前の状態で、
 製菓、清涼飲料などに用いられる。

なるほど。
要するに液糖は砂糖(≒ショ糖)ですね。
果糖や乳糖とは、まったく別の分類です。
ついでに氷砂糖の正体も分かっちゃた。
「グラニュー糖」の項目には、
「粒状になった砂糖」とあります。
つまり、こちらはショ糖の結晶か。

なおサトウキビの原産地は
インドだそうです。
紀元前後頃、ギリシャ人や中国人が
インドの物産として記録に残している。
栽培自体は紀元前二千年頃には開始。

いやぁ、安んじてお茶にできます。
食べ過ぎはまずいですが……
(まだ骨膜が痛むので運動不足)

エキス? 液子?

家で納豆を食べていた。
ものを食べている時は、目は暇だから、
何となく読むものを探す。
と、だいたい原材料名を見る事になる。
納豆本体は、大豆と納豆菌のみ。
シンプルだね。
一方、たれは凄い。
果糖・液糖・ブドウ糖が真っ先に登場。
鰹エキスに煮干しエキスに昆布エキス、
いやはや、いろいろ入っている。

……ちょっと待て。
「エキス」って何語だ!?
英語にしては響きが妙だ。
日本語か? 液子?
んなバカな。

 「エキス」
 (「エキストラクト」(英extract)の略
 エッキス・エクスとも)
 1薬物や食物を水やアルコールなどに浸して
  有効成分を溶かしこみ、濃縮したもの。
 2物事の一番本質的なもの。
  精髄。エッセンス。
 (引用者の手で一部省略)

ああ、なんだ。英単語の略か。
「エッキス」「エクス」という略語は
ちょっと聞いた事がないですが、
戦前の文章に出てくれば、
そんなに違和感ないでしょうね。

そう考えると、戦前と戦後では
ずいぶん言語感覚が違っているようです。
隠語の作り方とかもだいぶ違いますね。
どう違うのかは、うまく言えませんが……

←ほぉぼたん。

評論家の嘘

衝撃の事実発覚!!!

管理人が高校生の頃読んで、
へぇ、と思った本があります。
「日本人とユダヤ人」という
日本在住のユダヤ人が書いた本。
ある種の比較文化論で、
これがまた、大変に面白い。
興味深い、というだけでなく、
笑えるのです。
すごくユーモアがある。

当時まだあまり勉強というものを
知らなかった高校生は、
この本にハマりました。
作文に引用したくらいです。
「こんな本読んでるんだぜ」という
自慢もあったでしょう。

それが!!!

 松岡正剛の千夜千冊『歴史哲学』
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0251.html

 イザヤ・ベンダサン著『ユダヤ人と日本人』。
 大ベストセラーになったこの本は、書名も怪しいが、
 筆名はそれに応じて急造された架空の人物名だった
 (いまでは山本七平さんだったことがわかっている)
 こういうこともよくあると思っていたほうがいい。

うっそぉぉぉぉぉぉぉ!!!
ず、ずっとユダヤ人が書いたと信じてたよぉ!
う、ウソだ! ウソだと言ってくれ!
でも、たぶん真実なのである。
がびーん。

『日本人とユダヤ人』皆さんもどうぞ。
笑えますよ。
なお、なぜ松岡正剛のサイトを訪れたかというと、
この松岡氏のページで紹介されている
『歴史哲学』という本の著者ヴォルテールが
『ザディグ』という小説も書いているんですね。
こっちを調べたかった。
この小説『ザディグ』青空文庫で読めます。
笑えますよ。
特に最後の方に出てくる、
仙人みたいなジジィがファンキーです。
(実は天使でした、というオチなのだが
 正体が分かってもなお怪しい人物である)

アイヌ語2 シシャモの逆襲

新事実発覚、である。

相互リンクしているブロガーのドサンコさんから
こんなご指摘が届いたのである。

 北海道に住んでいる人間として補足説明。
 スーパーで売っているシシャモはシシャモではない。
 キャペリンという魚です。
 とシシャモの本場鵡川の知人がいっていました。

ななな何ですと!?
母に聞いても、名前は覚えていないと言いつつ、
やはり同じようなことを言う。間違いない。
さっそく再調査開始。
まずは最後まで読まなかった百科事典を読み直す。
と、以下の一節が。

 カラフトシシャモMallotus villosusは、
 口の歯が小さく、鱗も細かい。
 雄では産卵期に側線の上下に
 大きなブラシ状の鱗が二列に並ぶ。
 北海道以北の太平洋や北大西洋に広く分布する。
 卵をもった雌は子持ちシシャモとして市販されている。

ここに書いてある生息域、
母の言っていた「似非シシャモ」と似ている。
母は、本物は北海道でしかとれないと言うのです。
が、どうもよく分からない。
キャペリンとは書いていないし。
そこでWeb検索。今回は築地市場HP!

魚に関する知識をQ&A形式で紹介する、
「おさかな普及センター資料館」というのがありました。

<質問>
 輸入と国産のシシャモは別種か/
 北海道のシシャモとノルウェーのカペリンはどう違うか

<解答>
 シシャモは北海道にのみ分布。
 鱗が大きく、ワカサギに似ている。
 カペリンはカラフトシシャモ(標準和名)のことで、
 北海道以北の北極を中心にした寒海域に分布する。
 鱗がたいへん細かく、無いように見える。
 カラフトシシャモはシシャモが減少したため
 代用品として輸入されるようになった。
 現在「ししゃもの干物」としては
 カラフトシシャモの方がはるかに多く出回っており、
 価格も安い。

これでケリが付きました。
ドサンコさんの仰るとおり、
市場のシシャモの大半はキャペリン。
またの名をカラフトシシャモ。
母の言った事とも符合します。

なお母の言によれば、真正シシャモは、
カペリンよりも頭が小さくスタイルが整っており、
かつ腹に美しい桃色が差しているとのこと。
まあ、「輸入品より国産の本物の方が美麗/美味」という
母の言は、ありがちなプチ国粋主義という気もするので、
話半分に聞いておきましょう。

ほーほけきょーきょけちるちるちー???

母が怒っていた。
ドラマの一場面で、音は「ほーほけきょ」で、
画面には鮮やかな黄緑色の鳥が映っている。
「ほーほけきょ」と鳴くのはウグイスですが、
画面に映っていた、
鮮やかな黄緑色のそいつはメジロだそうです。

ウグイスの色がうぐいす色ですけど、
この本来のうぐいす色は、
かなり茶色に近いんですね。
いまの人は、うぐいす色というと
うぐいす餡の色を想像するから、
メジロの鮮やかな黄緑の方が、
ウグイスっぽく思えて、誤解が生じる、
というのが真相らしいです。

偉大なるかな母。

ついでに百科事典で確認したところ、
もう一つ誤解の原因が。
「梅にうぐいす」と言うんですね。
和歌や漢詩で。これがいけない。
梅の咲く時期にウグイスは鳴かない。
梅の蜜を吸うのはメジロです。
なぜこんな事になったか。

もともとの日本の伝統では、
「竹にうぐいす」だったのだそうです。
ところが、中国の漢詩の伝統では、
「梅にうぐいす」という言い方をした。
なぜなら、中国で「うぐいす」といえば、
梅の時期に鳴く別な鳥を指したので。
それを、日本の歌人詩人は中国に学ぶから、
少なくとも奈良時代の漢詩集『懐風藻』では、
「梅にうぐいす」が登場。
そのうちウグイスに夜間も光を当てて
正月に鳴かせる技術などが開発され、
うぐいす餡なんてものまで登場し、
すっかりこんがらがっちゃったワケ。

偉大なるかな百科事典。

ところで、「うぐいす」って、
よくわかんない響きですね。
語源はなんなんだろう。
なおメジロは目の回りが白いことから。
メジロの鳴き声は、
TBSのページにある生物図鑑↓によると、
http://www.tbs.co.jp/seibutsu/zukan/
「チーチュルチーチュルチチルチュルチー」
とのこと。

聖人vs聖女 ジェンダー問題

もうキ教ネタは切り上げようかと思ったのですが。
読者登録をしてくださったフーシェ様のコメントで
ふと思いつきました。「聖人と聖女は違うのか?」
ジャンヌダルクは、いつもの百科事典を見ると、
「聖女に叙せられ」としか書いていないのです。
しかし「男は聖人、女は聖女」って、
まるで女は人じゃない、みたいですよね(苦笑)
このジェンダー的にヤバイ状態はいつ生じたか。

……結論から言えば、
決定的な資料を見つけられなかったのですが。
とりあえず状況証拠を。

まず「聖人」の項目。
そもそもこれがキ教聖人と言うより、
中国儒教の「聖人」を主眼とした解説で、
「聖女」の文字は見えない。
そこで「聖女」の項目を見ると、
こちらは国語辞典風な解説しかない。
何の参考にもなりません。

そこでネット検索、です。
(正直、ネット検索オンリーは誤情報が怖くて
 裏をとりたいんですけどね)

と、こんなページを見つけました。
http://www.geocities.jp/konigsfamilien/hilfe/titel.html
素っ気ないページですが、
重要なことが書かれています。
"s"の項目、英語と仏語で"saint"という綴りが
聖人・聖女双方を指す、とあります。
つまり英仏語では聖人と聖女という
呼称の使い分けは無い、という事を示しています。
もっとも、仏語以外の多くのラテン言語では
聖人と聖女の語尾が少し違っています。
日本にカトリックを布教した人々の言語は
ポルトガルかイタリア、ラテンあたりでしょうが、
ポルトガル・イタリア両語でそうなっています。
しかし、これはラテン言語の単語の多くに
女性形・男性形の別があるためであって、
意識的に男女を分けようとした結果ではない、
とも考えられます。

ここから推理するに、
まず、こと欧米語に関してキ教の用語法では、
聖人に関して明確な弁別はない。
日本語での「聖人/聖女」という呼び分けは、
ラテン語の女性形・男性形の別を
正確に汲み取って訳出しただけ、か、
あるいは欧州語を和訳する際、
訳語を儒教の言葉から借用したために、
儒教的な男尊女卑っぽい語感が残ったか、
あるいは、けっして言葉ヅラの問題ではなく、
日本のキリシタンは男尊女卑的傾向を
少なくとも欧米のクリスチャンより強く
持っていたため、このような語法になったか。

「日本の民主主義は遅れている」と言いたい人には
三つ目の可能性が魅力的でしょう。
が、アメリカのキ教原理主義も
けっこう家父長制的だと聞きますから、
ちょっと眉唾です。

まぁ、これ以上の事を言うなら、
言葉だけにこだわらず、各地域各時代の
キ教共同体の男女の生活様式、
消費された文学、芸術、
影響力を持った思想家の言葉など、
様々な表象を分析しないと、
何とも言えないでしょう。

なお、wikipediaには「聖女」の項目があり
「キリスト教では、女性の聖人を指す」
と、素っ気ない。何語の話かも分からない。
「聖人」の項目にはいろいろ載っています。
まとめると、カトリックでは特別な人のこと。
迫害されて棄教するかも知れないので、
必ず死後認定される。
正教は更に慎重で、故人の影響が醒めるまで
認定を控える、が、稀に存命中にも認める。
まあ、古き良き情実人事でしょうか。
で、プロテスタントでは、
キリスト者はすべて聖人、なんだそうです。
神の前に皆平等で、皆賢いんですね。
成人なら誰もが賢く、誰もが選挙権を持つ、
という民主主義の前提と親和性を持つのが
よく分かります。

なお、「列聖(聖人として認定すること)」
という項目にも注目。まとめると、
聖人とは神と信者を媒介できる人を指すので
奇蹟(信者の願いを神が聞き届けた証拠)は
列聖の条件となるそうです。
が、殉教者についてはこの限りではない。
やっぱり、基本的には奇蹟が必要なんだ!

また、ドキッとする記述もありました。
「聖人」の項目。

 日本人の聖人としては豊臣秀吉時代に
 長崎で殉教した日本二十六聖人のうちの
 二十人の日本人がいる

ええ? 残りの6人はどうしたのよ!?
いえ、何のことはない。
残りの6人は日本人じゃないのです。
決して一緒に殉教したのに
列聖されなかった、ワケではございません。

さいごに、オマケ。

 「聖人」
 清酒の異称。
 濁酒を賢人というのに対していう。ひじり。

私はウイスキーが好きです。

←へぇぼたん。