雑学大典 -56ページ目

日本・不思議の国のランニング

日本人は真面目で勤勉、だなんて誰が言った?
変ですよ。断言しますが日本人はヘンです。
知らざぁ語って聞かせやしょう。日本人が如何に変態か。

ランニングの話です。
日本女子マラソンの躍進は、近頃輝かしい物がありますが、
みなさん。そんなものは、まだまだ甘いのですよ。
フルマラソンなんざぁ、言ってみれば、太陽系内部だ。
その外には、銀河系がある。星雲外宇宙がある。深部宇宙がある。
そう、一般人が知らないランニングの世界があるのですよ。

【銀河系編】
時:2005年3月5日~6日
所:お台場 船の科学館周辺

恋人達のお台場で、それは繰り広げられていた。
オジン達が、オバン達が、
スパイダーマンのようなタイツを履いて、
深夜のお台場を走っているのだ!
1人や2人ではない。ぞろぞろと列をなして走っている。
たまのデートをロマンティックなお台場で仕上げようと思った
カップル達は、見てはいけないものを見てしまった。

毎年恒例の「お台場24時間チャリティラン&ウォーク」です。
毎年3月に開催される、ランニングの大会です。ルールは簡単。
制限時間中、ただひたすら、サーキットを走る、走る。
四人チーム24時間の部は、4人リレーで24時間を走りきる。
6時間個人の部は、一人で6時間。
12時間個人の部は、一人で12時間。
24時間個人の部は、一人で24時間走り続けるのです。
おかしいですね。ヘンですよ。
そんなに体を痛めつけて、何が楽しいというのか。
しかもオジン・オバンが多いという点が激しい。
十代、二十代は稀です。上は60代、70代まで現役です。

ヘンだヘンだと言いつつ、
管理人も個人12時間で75km走ったことありますが……

しかし、これで驚いてはいけない。
「お台場24」は、いくらのそのそ歩いてもいい。
それに一周するごとにエイドステーションがある。
大会のあとに、大会前より太っていることだって可能だ。

毎年6月に開催される、「しまなみ海道100km遠足(とおあし)」
これは通常のマラソンスタイルで、暑い初夏6月の瀬戸内海を
延々100km走る、苛酷なものである。
のろのろしていると制限時間に遅れて、
回収車にピックアップされてしまう。

このような100kmクラスのレースが、
実は日本国内だけでも、いくつも開催されているのだ。
諸君、フルマラソンなど軽い物だ、
ということを胸に刻んでいただきたい。

【星雲外宇宙編】
以上は銀河系編である。
まだ太陽系を出ただけだ。まだまだ、これからである。

東京といっても、西のハズレには深い山がある。
毎年10月に、この奥多摩でひとつのレースが開催される。
「日本山岳耐久レース長谷川恒男CUP」
このレースが「しまなみ100km」や「お台場24」と
一線を画するのは、その走環境においてである。
しまなみやお台場は、オンロードだ。
コンクリートの堅さは膝に響くものの、
それでも平らかな道は有難い。街灯もあるから夜も安心。
でも、奥多摩には街灯がないんですよ!!

都会育ちの人には分からないでしょうが、
山の中は本当に暗いのです。
足下が見えないのです。
上も下も分からないのです。
真っ黒なのです。自分の手も見えないのです。

そこでランナーはヘッドライトを装備する。
ヘッドライトだけじゃないですよー。
食料も持ちます。途中まったく食品のエイドはないので。
飲料も持ちます。全行程中三カ所で水分をもらえますが、
それを合計しても足りないので、自分で担いでいくのです。
大会規定で、2Lは持っていくことを義務づけられます。
足りない人は3Lでも6Lでも持っていきます。
途中眠くなると、路傍にひっくり返って寝ます。
走っていると、ヘッドライトの明かりの中に、
そんな死体がふっと現れます。
いつしか、自分もそんな「死体」のひとつになっていきます。
全行程71.5km。制限時間24時間。

山岳レースは、概してこのような物です。
エイドの無さと、荷物の重さと、道の悪さ・暗さ。
オンロードは笑っていられますが、山岳は引き攣ります。
走った人は必ず「二度と出るもんか」と言います。
しかし、翌年には再び参加している。この不思議。

どう考えてもマゾだとしか思えません。
ちなみに管理人も、
いつの日かハセツネを制覇したいと思っております。
変態のお仲間です。

【深部宇宙編】
以上の話は、どれも日本国内の話ですね。
走る時間は長くて一日。フフン。大したことないのである。
世界には何日間もかけて走るレースがあるのですよ!!!

日本国内で最長は、トランス・エゾ555km。
こうなると一日では無理だ。何日間かかけて走る。
さらに凄いぞトランスアメリカフットレース4700km。
これは走破に2ヶ月以上かかります。
体の弱いところに損傷が出ます。
私の知っている参加者は、歯が抜け落ちたそうです。
まさに、マゾヒズムの極致。

さて、本題だ。諸君よーく聞いてもらいたい。
2002年、このレース「トランスアメリカ」の参加者は、
合計14人。うち米国人1人。完走者11人。うち日本人8人。

どーなんだこの数字は日本人よ!?
まあ、9.11の直後なので、その影響も考えられるのですが、
にしても、国外からの参加者の比率を考えてください。
米国人抜きの参加者が13人。完走しなかった人もいますから、
「日本人8人」というのは最低数です。
米人込みの8/14という数字は9.11で影響出るでしょうが、
米抜きの8/13という比率は、9.11テロの影響とは言えませんよ。

日本人は変態です。
日本人変態達は、世界中で走り続けています。
日本人ウルトラランナー達の活躍に、乞うご期待……
そして百科事典読者が奥多摩の山の中を走っていたら、
遠くから「ばかやろー!」と罵倒してあげて下さい。
喜びます。マゾなので。

アイルランド補遺

アイルランドの細かいことをちょびちょびと。

【国旗】
1848年、当時の独立運動団体が掲げた三色の旗が
現在も使われています。旗竿側から緑・白・オレンジの順。
色の配置はフランスやドイツの国旗と同じ縦縞です。なんでも、
緑が主にカトリックのケルト系・アングロサクソン系を表す。
もともと緑はアイルランドを象徴する色なんですよね。
オレンジが、プロテスタントの人々を表す。
これは1688年にイギリス王となったオレンジ公ウィリアムを
プロテスタントの人々が今でも尊敬しているから、とのことです。

1688年当初王だったジェームズ二世が旧教カトリック信者で、
新教プロテスタントを弾圧しようとしたのに対し、
プロテスタントの人々は、当時ネーデルラント連邦共和国総督で、
ジェームズ二世の長女を妻としていたオレンジ公ウィリアムに
助けを求めたんですな。
で、ウィリアムはイギリス人の圧倒的な支持を得て、
義父のジェームズ二世を追放し、イギリス国王に就任。
善政をしきましたとさ。世に名誉革命と言ふはこれナリ。
「ネーデルラント」の、日本での通称は「オランダ」
またオレンジ公ウィリアムはオランダ語ではオラニエ公ウィレム。

で、古くからのアイルランド人を表す緑と、
新しいアイルランド人を表すオレンジの間に、
白が挟まることで、平和共存を表すそうです。
平和の旗なのです。

【国語】
アイルランド語(ゲール語)が第一公用語で、第二公用語が英語。
ただし、ゲール語は一時絶滅しかかった言語で、
一時はかなりの田舎でないと、使用できる人はいませんでした。
いまでは初等教育で教えられていますから、
若い人の方が、かえってゲール語には強いそうです。
アイルランド自慢の文学は、主に英語で営まれているようです。

【文学】
アイルランドというのは、
たいへん文学の発達した国でありまして。
日本との絡みでは、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンが
アイルランド出身です。(もっとも母はギリシャ人だそうですが)
また一般に名の知られているところでは、
『ガリバー旅行記』のジョナサン・スウィフト。
また国語資料集には必ず載る『サロメ』のオスカー・ワイルド。
20世紀には、詩のイェーツ。小説のジョイス。
共に世界屈指のビッグネームです。

あと、これらを生んだ素地なのでしょうか。
「ストーリーテリング」の伝統があります。
テレビで見たことがありますが、夜になると人々が集まり、
語り部が一本の杖を握って、皆におはなしを語って聞かせます。
一人が語り終わると、別の人に杖が手渡される。
そうしてみんなが語り部となる。

やっぱり、文化というのは一部の文化人のものではなく、
共同体全体で共有されてはじめて、文化と言えますよね。
アイルランドには、文学を産み出す文化があるようです。

なお、ジェームズ・ジョイスの小説「ユリシーズ」
図書館で探してみてください。
枕どころの騒ぎじゃないですよ。
あんな分厚いもの枕にして寝たら、首が変になります。
マッカリース大統領も肩をすくめて
「母語だってとても読みきれないわ」と音を上げておいででした。

【紋章】
以下、上野格先生を引用。

 国の紋章はハープで、中世からアイルランドの紋章として
 用いられてきた。現在は紺地に銀の弦を張った金色のハープが
 国の紋章として用いられており、また、すべての鋳貨の裏面に
 ハープが彫り込まれている。
 モデルはマンスター王ブライアン・ボルーのハープとして
 知られる名品(14世紀に製作)である。ブライアン・ボルーは
 アイルランドに侵入したバイキングを
 1014年に撃退したことで有名。

とのことです。
配布物の大統領演説草稿にも(白黒ですが)印刷されていました。

あと、クローバーが国花だそうで、方々にクローバーマークが。
ギネスビールも、注いだあとに、泡の真ん中に串で描きます。
日本のクローバーとは、ちょっと違う品種のようです。
シャムロック、と言うそうです。
三つ葉です。四つ葉はペケです。

参考:アイルランド直輸入アクセサリーショップ「ケルトの森
Yahoo!トラベル-アイルランド(宿泊について)

【漢字名】
先日書きましたが、「愛蘭」という充て字があります。
ただ、「蘭国」と言うと、オランダになってしまいます。
「愛国」とやったら、これは自国を愛することです。
だから「米国」「英国」「仏国」みたいに、
一文字で呼ぶ呼び方は、無いようです。

しかし、素敵な文字が充てられていますよね。
「独逸(ドイツ)」や
「諳厄利亜(アンゲリア 英国の宛字の一種)」と比べると、
ずいぶんな厚遇です。
当時の日本人は、逆境にある国アイルランドに、
親しみを感じていたのでしょうか。

【3/17】
実は、今日が「Saint Patrick's Day」
建国記念日に相当する日でした。
ニューヨークなど、アイリッシュ系の多い都市では、
緑色のものを身につけて行進します。
この日、学校に緑色のものを身につけていかない子は、
お友達にいぢめられたりするそうです……

どこでも子供がすることなんて同じですね。

愛蘭よいとこ一度はおいで

会って来ましたよ。アイルランド大統領。
昨日は書きませんでしたが、実はアイルランド大統領は女性です。
これだけ男女同権が叫ばれても、女性の国家元首は珍しいですが、
前任者も女性ですから、アイルランドは二人続けて
女性の大統領を輩出していることになります。

さて、日本で「アイルランド」と言えば
「ケルトの国」ないしは「IRAのテロリズム」
どちらかのイメージに帰着するのではないでしょうか。
どちらも間違いとは言えませんが、
現在のアイルランドは、意外な側面を持っているのです。
以下、大統領のスピーチ草稿から引用しましょう。

 1990年代にアイルランドが「ケルトの虎」と呼ばれる時代…
 (中略)
 ……それ以来アイルランドは年率10%を越す
 高い経済成長率を何年も続け、少なくとも2010年までは
 年率5%に及ぶ急速な成長を維持するという予測を持つ、
 安定した時期にあります。

驚くほどの短期間で経済発展を遂げ、
かつて西ヨーロッパの最貧国だったのが、
いまでは先進国の仲間入りを果たそうとしているのです。
経済大国なんです。御存知でした?
先日ラジオで聞きかじったところでは、
WHOが作成した「世界住み良い国ランキング」で
アイルランドは堂々の一位に輝いたのだそうです。
経済的豊かさだけではなく、福祉制度、気候風土、政治的安定性、
それに社会環境、人間の温かみなども評価されたそうです。

政治的安定?

そうなのです。アイルランドというと
IRAのテロリズムが思い浮かびますが、
それは、もはや過去の物となりつつあるらしいのです。
人間が過激な政治運動に走るのは、
それなりの背景があってのことで、
経済的に安定し、人々が希望を持って生きられるようになれば、
なにもテロルで決算する必要はなくなるワケです。

この経済発展を支えたのは、大統領によれば、
整った教育制度だそうです。
現在、アイルランドの教育は小学校から大学まで無料だそうです。
それで教育が広く行き渡り、優れた才能が育った。

前大統領メアリ・ロビンソン氏は女性の地位向上を訴え続けた人。
今では国連人権高等弁務官に就任しています。
現大統領メアリ・マッカリース氏は初の北アイルランド出身者。
アイルランドの発展を総合的に支えるのはもちろんですが、
その出自から判断して、恐らく北アイルランド問題の
最終的解決を大きな目標とすることになるのでしょう。

アイルランドの歴史をまとめて、
アイルランド問題とはどんな問題なのかを解説しようとしましたが
あまりに複雑で、まとめ切れませんでした。
イギリスとアイルランドの対立ではありません。
イギリス内にもアイルランド内にも対立はあります。
ケルトとアングロサクソンの対立でもありません。
アングロサクソンもケルトもスコティッシュも入り乱れています。
カトリックとプロテスタントの対立でもありません。
独立の指導者ダグラス・ハイドはプロテスタントでした。
独立派も二つに分裂しましたし、別れた両派は時に連合しました。

紛争とは、そして人間とは、常にこうしたものかも知れません。
色分けは無意味で、一人一人がそれぞれの主張と事情を持ち、
その時々の情勢と気分に左右され、揺れ動きつつ、
ひとつの混乱状況の中に巻き込まれていきます。

ともかく、アイルランドが平和な良い国になることを祈ります。
アイルランド政府が作った日本向け観光ビデオが上映されました。
アイリッシュ・ウイスキーの醸造所が魅力でした(笑)
それにギネスビールも。
料理は海の幸が自慢とか。
美しい自然。アイリッシュミュージック。ケルト芸術。
そして暖かな人々。穏やかな気候。
「アイルランド良いとこ一度はおいで!」
大統領はエネルギッシュで気さくなおばちゃんでした。
(ま、政治的駆け引きもやってのけるのでしょうけれど)

アイルランドを知っていますか

やっばいです。
実は、明日アイルランド大統領が大学に来ます。
学生懇談会とやらがあって、出席することになっています。
はっきり言って英語できません。やっばいです。
日本の恥とならぬよう、せいぜい頑張って参ります……

ということで、アイルランドです。
みなさん、アイルランドについて、どんな事を御存知ですか。

 「アイルランド(島)」
 ヨーロッパ大陸北西の大西洋縁辺部にある大島。
 イギリス諸島の西側を占め、アイリッシュ海を隔てて
 グレート・ブリテン島に対する。
 ほぼ菱形の扁平な島。
 北海道よりやや大きい。

 政治的には、アイルランド共和国と、
 イギリス領の北アイルランドとに分かれている。
 人口はアイルランド共和国391万7336
 北アイルランド159万4400

扁平だそうです。山がないんですね。
ま、これはグレート・ブリテン島も同じだそうです。
だから中世イギリス人には、「アルプス山脈」なるものが、
とても不気味に、禍々しく感じられたのだそうです。
そして、島の大半がアイルランド共和国。
ただし北部「北アイルランド」と呼ばれる地域は、
イギリス領だそうです。
イギリスはイングランド(まんなか&東南部)
ウェールズ(西南のほう)スコットランド(北のほう)
そして北アイルランド(西の島の北部ちょぴっと)の四要素から
構成される、と考えられるようです。
ただし、イギリスの国旗、米印の「ユニオンジャック」は
「イングランドの聖ジョージ十字」
「スコットランドの聖アンドリュー十字」
「アイルランドの聖パトリック十字」
の三つを組みあわせたもの、らしいです。
ウェールズが無視されています。
またイギリスの正式名称は
「グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国」
United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland
だそうです。こんどはアイルランドだけ別扱いです。
なんだか複雑ですね。

アイルランドの話に戻りましょう。

 「アイルランド(島)-自然」
 メキシコ湾流の影響で緯度のわりには気温が高く、
 1月の平均気温は南部で7℃、北部山地でも4℃、
 7月は南部15.5℃、北部でも14.5℃である。
 風向は偏西風が年間7割を超え、とくに風の強い西海岸では
 樹木の生育も妨げられるほどだが、これが山地で
 年間1250~2000ミリメートル、平野部で750ミリメートルの
 雨を、年中ほぼ平均してもたらしている。
 天候は非常に変わりやすく、1日のうちに晴雨交代を
 繰り返すことも珍しくないが、これが、島を緑一色に
 染め上げている。雪はあまり降らず、
 西部では霜もまれで冬期も牧草が成育する。

あれ? 寒そうなイメージがありますけど、
夏は涼しく冬は暖か。えらい良いところですな。

 「アイルランド(島)-動植物」
 海面上昇によりアイルランド島がグレート・ブリテン島から
 離れたのは8000年前ごろで、これがかなり急速であったため、
 氷河期後は動植物があまり移入せず、
 アイルランドには土着の動植物の種類が比較的少ない。

 爬虫類は小トカゲ1種のみで、ヘビはいない。

あれま。
蛇は人類にとって、非常に重要な生き物です。
春先に冬眠から醒めるので、春を告げる動物、
農業のリズムに関係する動物として捉えられるのでしょうか。
それとも、その姿からか。とにかく重視される生き物です。
一番有名なのは、ヘブライの聖書でイブを誘惑した蛇でしょう。
ギリシャではヘルメスの杖に蛇が絡みついています。知恵の象徴。
インドでは大地を大元で支えるのが蛇です。
それが、アイルランドにはいない。独特なことです。
以上、上野格先生のお言葉。

 「アイルランド(島)-歴史」
 アイルランドの有史時代は鉄器をもって来島した
 ケルト人とともに始まる。
 多くの巨石墳墓や貝塚の存在はそれ以前の
 新石器人の存在を示している。
 ケルト語と鉄器文化をもって来島し、部族共同体を形成した
 ケルト人が現在のアイルランド人の先祖、
 先住(ネイティブ)アイルランド人である。

へぇ。アイルランドといえばケルトって感じですが、
ケルト以前の文化があるんですね。
そういえば「日立 世界不思議発見」でやっていた気がします。
ケルト人は、それら新石器時代の遺跡を、
妖精の残したものだと考えたのでした。

とりあえず今夜はこのへんにして、
アイルランドの現代の姿は、明日、また書きましょう。

色男といえば! ドンファン伝説

昨日はオペラについて調べましたが、
いったい何というオペラを見たのか、
きちんと書きませんでした。
モーツァルトの書いた「ドン・ジョバンニ」です。

「ドン・ジョバンニ」というのが主人公です。
元ネタは、ヨーロッパの民話です。

むかしむかし、ドン・ジョバンニという
そりゃあ好色な貴族がおりました。
何十人、何百人という女を口説き落とし、
落ちたと見るや、冷たくします。
挙げ句の果て、夜這いの邪魔に入った
女の父親を殺してしまいます。
怒った教会の神父達は、
ある晩ドン・ジョバンニを墓場で殺し、
「ドン・ジョバンニは自分が殺した男の墓石が倒れてきて
その下敷きになり死んだ。神の裁きだ」と言いふらしました。
ちゃんちゃん。

ヨーロッパに広く伝わった民話で、
国によって、ドンファン、ドンジュアンなどとも呼ばれます。
もとはスペインで、実際にあった話、として広まり、
脚色されつつ、多くの芸術家が題材に取り上げました。
モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」もその一つ。
先輩が「ツェルリーナがかわいい」と言っていました。

 「さぁツェルリーナちゃん!」
 「騙されてるのかしら?」
 「ボクとお城へ行こう! 素敵な毎日が待ってるぞ~!」
 「どうしたらいいの? もう負けそう!」

初な村娘、ツェルリーナ。確かに可愛かったです。
他に著名なところでは、
ご自身も大変なドンジュアンであらせられた詩人バイロン卿の
遺作となった「ドン・ジュアン」などが挙げられるでしょう。

ジョージ・ゴードン・バイロン侯爵のドン・ジュアンっぷりは
なかなか有名です。
とりあえず実在の人物の中で、
最もドン・ジュアン的な人物ではないでしょうか。
若くして家督を継いだイギリスの貴族で、
足に軽い障害があり、びっこを引いていました。
また爪を噛む癖があったと言われます。が、
これら当時としては悪印象だったであろう特徴があっても、
彼は女性達の強烈な支持を得ました。
顔は素晴らしくハンサムだったと言われています。
加えて、彼の書いた詩「チャイルド・ハロルドの巡礼」
この主人公「貴公子ハロルド」と作者のバイロン本人が
非常にイメージが重なり、格好良かったので、
どえらく人気が出たんですな。
追っかけが登場します。史上初のアイドルとも言われます。

幅広く手を出せば、とうぜん軋轢も生じます。
棄てた女性に、恨み辛みの詩を書かれたりします。
それには、バイロン卿も詩で対抗します。
またある時は別れた女が他の男と浮き名を流したと言って、
バイロン卿の方から、非難がましい詩を書きます。
これには、女の側から反論の詩が書かれています。
詩で対抗するなんざ、優雅ですな。
(なお、書かれた動機がクソでも、できた詩は素敵です)
しまいには異母姉との恋愛スキャンダルまで引き起こし、
まぁ、作品もかなり背徳的だったので、
世間の追及が厳しくなり、ついに国外逃亡。
イタリアでP.B.シェリーら仲間と気ままに過ごします。

(シェリーは以前ご紹介しました。超有名な大詩人です。
 現在では、『フランケンシュタイン』を書いた
 メアリーシェリーの旦那さんとしても有名です。
 ちなみにメアリーシェリーのお袋さん、
 メアリー・ウォルストンクラフトは有名な女権運動家。
 何だか凄い一家です)

最後はギリシャ独立戦争に参戦し、
1824年、マラリア熱で戦線に客死します。
大変ヒッピーな方でいらっしゃいます。
「ソフィーの世界」に出てくる哲学者さんが、
バイロンに代表されるロマン派第二世代の詩人達を
「世界で最初の若者文化。ヒッピーのような人達」
と評しておられます。

なお、P.B.シェリーもけっこう女ったらしでした。
宿屋の娘と同情結婚したけど愛想が尽きたらしく破局。
尊敬する思想家ゴドウィン氏の娘に熱を上げます。
この娘が後のメアリーシェリー。
宿屋の娘ハリエットちゃんは、傷心自殺しちゃいます。
でもメアリーは難産続きで情緒不安定になり、
それから逃避するように
P.B.シェリーは他の女性宛に恋愛詩を書いたりします。

詩人なんてサイテーですね。(苦笑)

オペラにわか勉強

春。色々な活動が始まります。

私もこの春から、いくつか新しい活動を開始します。

いままではWeb上には、実名は出さないできました。

が、どうやら、これからそれが崩れることになりそうです。

そこで、この際Web上の活動はすべて実名でやろうと思います。

松尾直樹。実はトーダイセーです。目黒区駒場に通学中。

東大生と言うと、途端に皆の視線が変わってしまうことがあって、

悲しいです。

いままで通りの百科事典読者ですので、

読者の皆さん、いままで通り、お付き合いくださいね。



さて、東大に入ってビビッた事はいくつもありますが、

けっこう大きかったのは、周囲がハイソだったことです。

私はしがないサラリーマンの息子です。

が、周囲にはやっぱり、高級官僚や大学教授、

会社経営者、銀行関係者、医者、法律家の子弟がいます。



カルチャーショックだったのは、文化的教養の事ですね~。

高校時代までは、クラシック音楽を聴く人なんて、少数派でした。

でも、大学ではクラシックを話題にすれば、

だいたいその場の人はついてきてしまいます。

私はついていけません。びっくりでした。



また、舞台芸術に対する感覚も。

私は、バレエとかオペラとか、能・狂言とか、

そんなものは、遠い世界のものとは言いませんが、

自分が見に行くものだとは思っていませんでした。

ところが、大学の友達に聞くと、見たことある、という人が

けっこういます。ゴロゴロいます。びっくりでした。



さて、先日は大学の先生に招かれて、オペラを見てきました。

はじめて見ましたよ。いやはや、けっこうなもんでござんすな。

ただし、イタリア語で歌われてもサッパリ分かりませんが……

いやいや、なんのこれしき。この際だ勉強しよう。



 「オペラ」

 舞台芸術の一種で、歌唱を中心に、

 作品全体が主として音楽によって表現されてゆく劇。

 語源はラテン語のopus(作品)の複数形。



皆さん。覚えといてください。音楽中心です。テストに出ます。

舞台に俳優が出ると、つい見る方にばかり意識が行きますが、

聞かなきゃ駄目らしいです。

「オペラを見てきました」と言わず、

「オペラを聴いてきたよ」などと言うと通っぽいですな。

もっとも、オペラを聞き慣れているらしい先生方は、

オーケストラの演奏は無視して、

もっぱら俳優の演技や声について話していましたが。

いや、それは今回のメインが俳優だったからかな。



 日本では「歌劇」とよばれることもあるが、

 この語はもっと幅広い、

 歌唱を中心にした劇の総称としても用いられている。



とりあえず「歌劇 フィガロの結婚」などと言われたら、

オペラなんだなぁ、と思っておけば良さそうです。



 オペラの音楽は、独唱、合唱、管弦楽などにより構成され、

 登場人物は歌い手でもあり、台詞がそのまま歌詞になり、

 ストーリーが展開してゆく。

 したがってオペラの上演には、演奏を含めた音楽的要素のほか 

 文学的要素(台本、歌詞など)はもとより、美術的要素(装置、

 衣装、照明など)、挿入されるバレエなどの舞踊的要素、そして

 演劇的要素(演出、演技など)も欠くことのできないものであり

 総合芸術としての魅力をもっている。



演出。派手でしたよ~。

最後に舞台がズズーンと沈むんですけど、沈み方、半端ないっす。

舞台の前の方を残して、面積の7割がドカーンと沈みました。

もうもうと煙が立ち上り、真っ赤なライトがユラユラしました。

バレエっぽいダンスは、そんなに目立たなかったかな。



 オペラは、16世紀末に古代ギリシアの悲劇の復興を目ざした

 フィレンツェ(イタリア 編者注)のカメラータという

 文学者・音楽家のグループの創作活動の結果として生まれた。



イタリア生まれです。それが各国に広まったようです。

だからイタリア語なのかな?

昨日聞いたオペラはモーツアルト(オーストリア人)の書いた

作品で、話の内容はもともとスペインの話なのに、

人物はみんなイタリア人。イタリア語でやってました。

概してイタリアが中心だったけれど、

フランスではバレエなども取り入れ、

フランス語による独自のオペラが生まれたそうです。

さすがフランス人。どこまでも我が道を行きます。



 18世紀中葉ごろから、各地で市民階級の生活感情をとらえた

 喜劇的オペラが盛んになってきた。

 (中略)

 こうした18世紀オペラのさまざまな分野で

 独自の傑作を残したのがモーツァルトであった。



はい。モーツァルト。笑えましたよ。

主人公のドン・ジョバンニ、どうしようもないヤツでして。

女と見るや片っ端から口説き、

情事がバレそうになると従者を身代わりにして逃げたりして。

で、あとから従者が悪態をつくっちゅう展開です。

従者。正直で憎めない、いいヤツです。

主人の真似をして痛い目にあったりします。かわいいヤツです。



19世紀にはいると、また動きがあるようです。この頃から、

喜劇的なオペラをオペレッタとか言うようになったそうです。

オペラとオペレッタは違うんですな。

19世紀の重要人物がワーグナー。ドイツの人。

クラシックの作曲家として有名ですが、

「独自の音楽劇『楽劇』をつくりあげた」のだそうです。

しばらく前まで、全労済のTVCMで彼の曲が使われてました。

(ちなみにワーグナーで検索したら5人も出てきました。

作曲家の他に、解剖学者・生物学者・経済学者・建築家)



あとは、19世紀になって西ヨーロッパ以外の

ロシアや中欧・東欧にも民族色のつよいオペラが誕生。

ふぅん、って感じですね。どう民族色が強いのか。

「民族色が弱い」スタンダードなオペラも知らないのだから、

比較のしようがありません。

以上、今谷和徳先生の筆。



なお、日本のオペラについて寺崎裕則先生が書いています。

いろいろ書いているのですが、以下の点だけ引用しましょう。



 オペラやオペレッタは、ヨーロッパ文明が生んだ最高最大の

 ぜいたくな総合芸術である。それゆえ上演するには膨大な

 お金がかかる。そのため、ヨーロッパではかつては領主や

 大金持、国王の庇護によって、20世紀後半は国家の援助に

 よって、すなわち国民の税金によってオペラ公演が可能と

 なった。こうした伝統の上にたつヨーロッパと日本での

 文化状況には大きな隔たりがある。日本では経済的な負担は、

 オペラを上演したい人が直接担ってきたのであり、

 オペラ歌手という職業は日本では存在しえない、といっていい。

 歌手はオペラでは生活ができないので、音楽学校の教師などを

 副業にせざるをえない。オペラを上演する劇場、ハードの面に

 ついては充実してきたものの、オペラを創造するソフト面、

 すなわち指揮、演出、歌手、合唱団、オーケストラなどが

 おのおのプロとして専念できるためには、

 経済面での公的助成が火急の課題である。



職業として成立しない? 手弁当?

そして、国民の血税を注いで育成せねばならないそうです。

ふぅむ。



まぁ、無駄な道路工事に使うくらいなら、

芸術に使った方がいいですね。

私は正直、オペラはそこまでピンと来なかったのですが、

それでも芸術活動っぽいことをしているし、

美術展とかは好きなので、

芸術にお金をかけることには、基本的に賛成です。

雛祭りコンプレックス

雛祭りのルーツについて、大、大、大発表、であります。
少なくとも、以下のようなルーツが認められるようです。

・上巳(じょうし)の節供
・ひいなあそび
・ひとがたを用いた「祓(はらえ)」
・春の特定の日に、子供たちが野山で一日中遊ぶ風習
・神送り
・農業儀礼
・近世都市の消費文化

これらがまた、きれいに弁別できずに絡み合って、
雛祭りを産み出しています。一つ一つ見ていきましょう。
流し雛がルーツだ、とは聞いたことがありましたが、
この意見は山東京伝という江戸時代の作家・浮世絵師が
書いた事だそうです。
しかし、事実はもっとずっと複雑らしいのです。

・上巳の節供
百科事典「雛祭」の項目には、
「桃酒や曲水宴を伴う『上巳』の行事は中国陰陽道の習俗の
移入である(竹内利美)」とあります。
もともとは3月最初の巳の日に行ったそうです。
(「巳」というのは十二支の「巳」です。
十二支は年だけでなく、日にも、時間にも適応されます)
しかし奈良時代には3月3日に固定され、
平安時代に貴族の年中行事として盛んになったようです。
「桃の節句」という呼び名や、雛祭りの日付は、
間違いなくここから来ていますね。
しかし、雛人形とは何の関係もありません。

・ひいなあそび
人形を使った、おままごと遊びです。
百科事典「雛人形」の項目に以下のようにあります。

 「ひいな」は、小さくかわいい意味の古語で、貴族社会では
 男女一対の小さな紙人形を用いてままごと遊びなどが行われ、
 それを「ひいな遊び」といった。
 人形は立った姿の紙雛風のものと推定されるが、これを中心に、
 貴族の暮らしをまねた館や、食器などの調度をそろえて遊んだ。
 『源氏物語』(末摘花)に、「もろともひいなあそびし給ふ」
 などとあるように、貴族家庭の少女の人形遊びであり、
 3月の節供とはまだ関係はなかった。(斎藤良輔)

流し雛などは、人形を流してしまいます。
人形を捨てず、見て楽しむ点、
また「雛祭り」という語の源流と言えます。

・祓(はらえ)
日本には古くから、水辺で行う汚れを祓う行事があったようです。
人形を使うものに限らず、
水浴びをする「みそぎ」なんていうのもありますね。
人形を使うものは、人形に汚れを移して、水に流す形をとります。
このように穢れや災いを移し、身代わりとして棄てる、
紙製の人形や衣服を「撫物(なでもの)」と言うそうです。
百科事典「曲水宴」の項目に、このような風習を
「わが国の風習」と呼ぶ一文があるので日本独自の風習でしょう。

 「雛祭」
 『源氏物語』須磨の巻には、三月上巳の日に陰陽師を召して
 祓を行い、そのひとがたを船に乗せて流したという記事がみえ、
 『建武年中行事』にも、三月節供の「御燈(みあかし)」行事には
 「人形」に饗応(きょうおう)したあと、それを祓え送るとある。

とあるように、ごく早くから中国の「上巳」と混同されました。
人形と3月3日を結びつける鍵でしょう。
中国の「上巳」に祓の意味があるかは、よく分かりませんが。

・子供たちが野山で一日中遊ぶ風習
「上巳」も「祓」も子供とは関係ありません。
「ひいなあそび」は子供のする事ですが、行事ではありません。
これらとは別に、子供が主役の行事が、春先に存在したようです。
百科事典に以下のようにあります。

 「雛祭」
 三月節供のころ、磯遊び、山あがり、花見、春なぐさみ
 などといって、子供たちが野外に出て終日遊び共同飲食する
 風習も、かなり広く各地にみられる

いまいちはっきりしませんが、
この風習は、現代もある、という事のようです。
雛祭との関係はあまり明らかではありませんが、
しかし関係が疑われる行事です。

・神送り
雛祭との関係は不明確ですが、関係は疑われます。
「神送り」は日本に広く存在する行事で、
神が旅をする、という発想に基づき、
やって来た神を歓待したりして、帰っていただく、送り出す、
という習慣が日本に広く見られるようです。
旅人、客人、異人と神には繋がりがある、というのは
民俗学の基本です。
人形を祓のための撫物として紹介しましたが、
一方で、去っていく人形=送られる神 という発想を
ほのめかす行事も各地にあるようです。「雛祭」の項目に

 長野県南部の「三月場」、千葉県の「野あそび」のように、
 雛人形を野外に据えて遊ばせ、その別離を惜しむ風習の伝承は
 注目されよう。もちろん一般の野遊び、山あがり、磯遊びには、
 雛人形との関連はないが、しかしそこにも「神送り」の
 古義をとどめるところが多いことは確かであろう。

とあります。
民俗学の言うことは、ときどきこじつけに聞こえますが、
沢山の民話を収集していると、
そういう結論が見えてくる、ということらしいです。

・農業儀礼
百科事典「雛祭」の項目に

 北九州地方でこの日を「麦ぼめ節供」といい、
 畑の麦の生育ぶりをほめはやす意味の行事があった。
 前記の山遊び、野遊びにもむしろ、春の初めに野外に
 「農の神」を迎えて饗応する意味のものがかなりあった。

とあります。
農業儀礼も混ざっているようです。

・近世都市の消費文化
先日ご紹介したとおりです。
以上のような様々なルーツはあるものの、
現在の雛祭のイメージを決定的に決めている「雛壇」は
江戸時代に、女児の誕生を盛大に華やかに祝う習慣、
また嫁入りに華を添える習慣、良縁を祈る習慣として、
武家・貴族・富裕な商人の間に「流行」したようです。
古い祭りや儀式は、古俗に則ることを良しとしますが、
都市のイベントは、「みせびらかし」のために
「みんなと違う」事を良しとして、差異化を図ります。
新しいもの、趣味の良い物が「モード」として珍重され、
次々と新しいものが産み出されます。

そういえば、徳川吉宗の贅沢禁止令に
「芥子雛(けしびな)」を禁ずる法令があったようです。

 「雛人形」
 雛祭の隆盛に伴って精巧な作品が現れ、江戸幕府はその華美に
 対してしばしば製作の禁令を出した。大型化されたのも特色の
 一つで、取締りの対象となったが、その反動として
 3センチほどの芥子雛とよばれる超小型の作品も現れた。
 京都生まれの典雅な次郎左衛門雛と並び、江戸製の写実的な
 古今雛に人気があった。
 現在の雛人形はこの古今雛にかたどってつくられている。

とのことです。

こうしたいくつもの風習の複合体(complex)が、
現在の雛祭りの背景にはあるようです。


なお……
雛祭りについて調べる中で「雛菓子」という項目を読みました。
そのなかで、管理人にとって意外な話がいくつかあったので、
そのへんをポツポツと。

 「雛菓子」
 菱餅は宮中で正月に用いる菱葩餅(ひしはなびらもち)を
 簡略にしたもので、白、緑、紅、黄色の餅を、
 二枚重ね(白緑、白紅)、三枚重ね(白緑紅、白緑黄)
 五枚重ね(白緑紅白黄)にして飾る。
 色合いはこの季節を表現したもので、
 白は遠山の残雪、緑は新緑、紅はモモの花、黄は菜の花に
 なぞらえているという。

ちょっちょっちょっと待て。
菱餅は正月に用いるもの? 雛祭りじゃなく?
雛祭りとは無関係に宮中の習慣が流入しているあたりは、
雛祭りの源流に「ひいなあそび」というおままごとがある事と
関係しているようにも思われます。
3月3日と正月が混ざることに関しては、
旧暦と新暦のズレなんかは関係ないですよね? ないと思います。

そして、色に驚愕。
赤・緑・白だけかと思っていました……
幼稚園の頃はそれで統一だったと思うのですが。
各色の表現するものは、なるほどね、という感じでしょうか。

 有平細工のタイ、ハマグリ、モモの枝、
 またさまざまな貝の形をらくがんにした「貝尽し」を飾る。

出ました。貝。
ハマグリはやっぱり別格のようですが、
それ以外にも各種貝を作るようです。
なお「有平細工」とは初めて聞いたのですが、国語辞典によると、

 「アルヘイ(有平)」
 (ポルトガルalfeloa 砂糖で作った菓子の意)

とありました。ポルトガル語。

 有平細工や落雁の貝は、雛人形が飾り雛以前に人形の流し雛で
 あったころ、祓(はらい)雛を流すついでに潮干狩を行った
 名残とみられる。ハマグリの殻は雛の器にも用いた。

潮干狩りとの関係も、やっぱり疑われるのですね。
なお、この項目は沢史生先生の筆。

雛祭りは面倒なもの!

さて、今日は雛祭りネタ。遅いだなんて言わないで……
雛祭り前後に「雛壇を出すのが億劫」という発言が
複数のブログで見られました。
で思ったんですが、今の人が忙しいように、
昔の人だって暇ではなかったはずですよね。
今の人にとって億劫なものは、昔の人にも億劫だったはずです。
そもそも庶民には豪華な雛人形を用意する余裕も、
それを出したり仕舞ったりする余裕もなかったのではないか。
ちと雛祭りについて調べてみましょう。

 「雛祭」
 江戸時代初頭(1630ころ)に宮廷や幕府で三月節供に
 雛人形にかかわる行事があった記録が現れ、
 やがて寛文年間(1661~73)以降にようやく雛祭の形が
 定着したとみられる。
 以後の雛祭は、工芸品としての雛人形の生成発達と関連して
 しだいに華美な形になり、また都市から農村へと波及していった
 が、その一般化は明治以降である。
 江戸時代初期の雛飾りは平壇・立雛の形が主だったらしいが、
 やがて精巧な土焼きの衣装人形の出現で華麗になり……

また、雛人形の項目も。

 「雛人形」
 江戸中期から雛祭ということばが生まれ、雛祭の流行から
 雛人形類、調度が増加してきた。それにつれて雛段様式となり、
 宝暦・明和年間(1751~72)に2、3段となり、
 続いて安永年間(1772~81)のころ4、5段のものが現れた。
 さらに幕末には7、8段のものもみられた。
 雛祭は最初女子の誕生と関係なかったが、江戸中期から女子の
 初節供を祝う行事となって、雛人形の贈答が盛んになり、
 上流階級では雛の使いといって、吊り台に雛人形や行器(ほかい)
 樽などをのせて贈り物をすることも流行した。
 さらに、娘が他家に嫁ぐ際にも雛を持参し、嫁入り後の初節供に
 雛祭を行う風習も生まれた。江戸末期には段飾りも様式を
 整えてきて、雛段の最上段に内裏雛を置き、階下の段に付随する
 諸人形を飾った。雛人形はこの雛段に飾る人形の総称である。
 この雛祭行事は日本独特の人形遊び行事で、明治以後全国的に
 普及して、各家庭や学校、幼稚園などでも盛んに行われ、
 国民的行事となっている。

今現在行われている、いわゆる「雛祭り」と呼ばれる習慣は、
成立年代が遅く、宮廷や幕府を中心に、都市に生じたものです。
また「雛祭り」と言いますが、普通「祭」というのは、
ムラ共同体を単位として、農村から生まれるものです。
「雛祭り」はもともと「祭」ではなく「節供」
つまり中国から知識人によって輸入された、暦や陰陽道と関連する
上流階級のイベントだったと言えるでしょう。

また人形を飾る習慣は前提として、工芸の非実用品としての
(食器や武具とは異なる)発展を必要とします。
解説文中に「流行」という言葉が見えることからも分かるように、
実生活・実用性とは別に、流行やファッションを追求する、
極めて都会的な文化を前提としたイベントです。

明治以降の「四民平等」によって各階層に浸透しましたが、
もともと上流階級の遊興です。
上流階級は、雛人形を出したりしまったり、などという
面倒なことに自ら手を下したりはしないでしょう。
下男下女どもがいるのです。召使いですよ! 召使い!

「雛壇をいつまでも出しておくと嫁ぎ遅れる」という俗信が、
なぜ存在するのか、といえば、
「雛壇をいつまでも出しておく」のが珍しくないからでしょう。
要するに雛壇をきちんと出して、仕舞うのは、難しい事なのです。
実行が難しい文化は、庶民の間では衰退して当然です。
上流階級の資力・マンパワーを前提として、
雛祭りは無事に執行されるものなのです。
古い社会制度を前提として成立した文化が、
今日の民主主義社会において衰退する、という例は、
他にもある気がします。

さて。
アメブロガーのお父様・お母様方。
召使いもいませんし、一体来年はどうしましょうか……

←へぇぼたん。

ハマグリ喰って貞操というのも……

昨夜、tenma様からコメントをいただきました。
娘さんが「雛祭りはアサリを食べる」と仰り、
奥様が「雛祭りに食べるのはハマグリ」と訂正されたそうです。
そこで、なぜハマグリなのか、と。
昨夜は「大大大発表」などと書きましたが、
ちょっと歯切れが悪い事になってしまいました……

調査は難航しました。まずは百科事典にあたったのですが、
まず「雛祭り」が載っていない。「桃の節句」もない。
別な名前で載っているのか? と、業を煮やして
「雛」の1文字で検索をかけると、今度は鳥の「ヒナ」や
ヒナ○○という動物名まで出てきて。

しかし、ありました。「雛祭」および「雛人形」
ところが、ここにまた、ハマグリが載っていない。
「ハマグリ」も「はまぐり」も「蛤」もない。
うーんと唸って食卓に着いた百科事典読者は、
カリスマ主婦の母に訊きました。

「母上、雛祭りにはハマグリを食すのでございますか?」
「そーなのよ my son」
「なぜハマグリを食すのでございましょうや」

それはこーゆう事なのよ my son、と
カリスマ主婦の母が語ったところでは。
ハマグリには限らないそうです。アサリも可。
要するに、貝というのはピッタリな二つが合うので、
ピッタリな旦那さんを見つけられるように、
女の子の祝いには貝を食するそうです。
特にハマグリだと言われる理由は、貝あわせに使う貝なので。
貝、分けてもハマグリが、夫婦和合の象徴なのですね。
アサリだって、表面の模様がピッタリ合わさるので、
いいのだ、とカリスマ主婦は申しております。

……裏付けがほしいところですね。とりあえずググってみますか。
いくつか見つかりましたが、とりあえず中央卸売市場。
http://www.honjo-osaka.or.jp/umaimon/03.html

 はまぐり
 3月3日の雛祭につきものですが、その由来は地方により
 色々あります。その一部を紹介しますと、旧暦の3月3日頃に
 海女さん達が浜遊びなどをしてお供えをした事からで、
 昔は、他の貝類もお供えをしていました。
 特に、ハマグリは対の殻以外は合わないので夫婦和合の
 象徴(お祝い事には欠かせない)として雛祭に多く
 食べられるようになったと言われています。
 選びかたは、口がしっかり閉じている物で殻に光沢があり、
 貝同士を打ち合わせ澄んだ高い音のするものを求めて下さい。

選び方まで書いてありましたが、それはそれとして。
他にも「二枚が別の貝とは合わないことから、貞操を教えたもの」
という記述が数カ所に見られました。
カリスマ主婦が言ったのと、微妙にニュアンスが違います。
主婦が言ったのは「素敵な旦那さんが見つかるように」でしたが、
貞操を教えるというと、姦婦ゆるさじ、という雰囲気です。
テイソウ……死後になりつつあります。(苦笑)

昔は父権主義社会だったから、
「姦婦ゆるさじ」が元来のニュアンスだ、と
主張することもできるでしょう。
しかし、古い漢詩などを見ても、良き嫁ぎ先で娘の幸せを祈るのは
今も昔も変わらない親心ではないか、と思います。
いい旦那さんが見つかるように、というのも、
あながち間違いとは思えないと思います。

……あまり信頼できる記述も見つかりませんでしたが、
こんな所で許していただけるでしょうか。
いまいち裏付けがなく、歯切れが悪くてスンマセン。

←へぇぼたん。もとい、むむむぼたん。

ソーセージ食べ方指南

昨晩も我が晩餐は「味噌ごた煮」である。
が、昨日はちょっと贅沢だった。
いつもは安い鳥の胸肉ばかりだが、
昨日はソーセージが入っていたのだ。
スモークしたいい匂いが漂ってくる。

あれ?
ソーセージってスモークなんかしたっけ?

 「ソーセージ」
 水分が多いドメスチックソーセージと、
 水分を調節したドライソーセージがある。
 ドメスチックソーセージには
・生ソーセージ
・薫煙ソーセージ(香り程度に薫煙し、湯煮した
 もの。細い小形のウィンナソーセージなど)
・クックドソーセージ(湯煮加工したもので、
 仕上げに軽く薫煙するものもある)
 などそれぞれ各国に多くの種類のものがある。

 ドライソーセージの代表はサラミソーセージ。
 乾燥後薫煙するのがセルベラートソーセージで
 スモークサラミともいう。
 湯煮するタイプがモータデラソーセージで、
 水分が残るので柔らかい。
 ソフトサラミあるいはクックドサラミとも。
 (一部読みやすいように引用者の手で編集)

はあ、なるほど。
ウインナソーセージというのは燻煙してあるんだ。
語源はラテン語の塩漬けsalsus由来説と、
雌豚sauとハーブの一種セージsageの合成語説あり。
紀元前9世紀のホメロス『オデュッセイア』に、
それらしきものが出ているそうです。
広く食べられるようになったのは14世紀頃。

なお、この項目も小項目がちょっと面白いです。
一般論、製法、種類と特徴、そこまではいいが、
次に「栄養」とあって、

 結着剤、着色料などを用いたものでは栄養価や
 添加物の問題を含んでいる。
 減塩の必要な人には注意を要する。
 (一部省略)

とか書いてある。
また「調理・利用」という項目があり、
腐敗の兆候についてや、
生で食べるならスライス後一両日中に食べろとか
一度切ったら毎日一枚でも切って、切断面を
長く放置するな、とか書いてある。

河野友美先生、親切である。

なお中国でも「香腸(シヤンチヤン)」と称し、
少なくとも6世紀にはいくつもの種類の製法が
『斉民要術』に載っているそうです。
この項目は頼學禮先生の著。

←へぇぼたん。