雑学大典 -7ページ目

プラタナスとマロニエと栃の木

週末実家で過ごしておりますと、母御前が「どこも紅葉がきれいだ」とオッシャル。ふむ。そうでしょうな。都内の事務室に一日中座り込んでいると、あまり感じる機会がありませんが。
で、特にどこそこのプラタナスが奇麗だと。あの樹は一本の樹の中に赤も黄色も緑も混じって鮮やかだと。ふむふむ。でも、あれプラタナスだよな? ゆりのき? とたぶん同じもので、「ゆりのき通り」という名前のついた道によく似た樹が植わっているからたぶんその樹もプラタナス=ゆりのきで……あれ? マロニエとプラタナスって同じ?

母御前、なんか怪しいですよ。
ムスコが調べて進ぜましょう。

 プラタナスは、スズカケノキ科スズカケノキ属の総称。
 街路樹・庭園樹として広く用いられている。
 (ウィキペディア)

母御前、なんか違うみたいですよ。
ちなみに「ゆりのき」というのは、
ウィキペディアには項目がないのですが、
こちらのページにありました↓

 季節の花 300

 百合の木(ゆりのき)
 半纏木(はんてんぼく)、軍配(ぐんばい)の木)
 (Tulip tree)

 木蓮(もくれん)科。
 学名 Liriodendron tulipifera
  Liriodendron : ユリノキ属
  tulipifera : チューリップ形の花の咲く
    Liriodendron(リリオデンドロン)は、ギリシャ語の
    「leirion(ユリ)+ dendron(樹木)」が語源。
    ユリに似た花の樹木、の意味から。

なお、マロニエもまったく別の樹で、

 トチノキ(栃、橡、栃の木)とは、トチノキ科(APG植物
 分類体系ではムクロジ科とする)トチノキ属の木本植物。
 学名は Aesculus turbinata。
 ヨーロッパ産の近縁種であるセイヨウトチノキ (Aesculus
 hippocastanum) はフランス語名のマロニエでよく知られる。

とのこと。

トチノキとマロニエではだいぶイメージが違うなぁ、とは母御前の弁。一方は古い日本の田舎暮らし、他方はオサレなフランスのカッフェーのイメージでしょうか。

現役活躍中の生物資源・カイガラムシ

先週来「カイガラムシ」という生き物について調べています。今週は、その資源としての利用について。

 もうひとつカイガラムシに特徴的な形質は体を覆う分泌物で、
 虫体被覆物と呼ばれる。虫体被覆物の主成分は余った栄養分と
 排泄物である。多くのカイガラムシが食物としているのは篩管
 に流れる液であり、ここに含まれる栄養素は著しく糖に偏った
 組成となっている。これをカイガラムシの体を構成する物質と
 して同化すると、欠乏しがちな窒素やリンなどと比して、炭素
 があまりにも過剰になってしまうので、これを処理する必要が
 ある。

糖ばっかり食べていると、人間ならメタボ一直線ですがねぇ。何億年とそういう暮らしをしていれば、適応できるらしいです。って、食べる端から余分な糖分をダラダラ排泄しているって、汚い感じがして仕方ないですが。

 カイガラムシの資源生物としての利用は、多くの場合体表に
 分泌される被覆物質の利用と、虫体体内に蓄積される色素の
 利用に大別される。

 被覆物質の利用で著名なものはカタカイガラムシ科のイボ
 タロウムシ Ericerus pela (Chavannes, 1848)である。
 イボタロウムシの…(中略)…雄の2齢幼虫は細い枝に集合して
 ガマの穂様の白い蝋の塊を形成する。これから精製された蝋は
 白蝋と呼ばれ、蝋燭原料、医薬品・精密機械用高級ワックス
 などに使われている。主な生産国は中国で、四川省などで
 大規模に養殖が行われている。かつては日本でも会津地方で
 産業的に養殖された歴史があり、会津蝋などの異名も持つが、
 現在では日本国内では産業的に生産されていない。会津蝋で
 作られた蝋燭は煙がでないとされ珍重された。

というわけで、すごいんですイボタロウムシ。高級です。

 色素の利用で著名なものに中南米原産のコチニールカイガラムシ
 科のコチニールカイガラムシ Dactylopius coccus Costa,
 1829 がある。
 エンジムシ(臙脂虫)とも呼ばれ、ウチワサボテン属に寄生し、
 アステカやインカ帝国などで古くから養殖されて染色用の染料に
 使われてきた。虫体に含まれる色素成分の含有量が多いので、
 今日色素利用されるカイガラムシの中ではもっともよく利用され
 メキシコ、ペルー、南スペイン、カナリー諸島などで養殖され、
 染色用色素や食品着色料、化粧品などに用いられている。日本
 でも明治初期に小笠原諸島で養殖が試みられた記録があるが、
 失敗したようである。

エンジムシから取れる染料は衣料品や食品にも用いられており、カンパリというお酒の深紅色はこの染料による、という話を先日書きました。あはは。わはは。飲めなくなりましたね。今では同様の物質を化学合成しているんじゃないかと一縷の望みを託した方があったかも知れませんが、残念、むしろ「赤色○号」とかが体に悪いんじゃないかと疑われるようになって、見直されるようになった天然色素の一種です。いまでもエンジムシから作っているようです。

あと、こんな記述も。

 特殊な利用に糖分を多く含んだ排泄物の利用がある。旧約聖書の
 出エジプト記にしるされているマナと呼ばれる食品は、砂漠地帯
 で低木に寄生したカイガラムシの排泄した排泄物(甘露)が急速
 に乾燥して霜状に堆積したものであると推測されている。

うーん、これは推測の域を出ないですね。
それから、こちらのページにはコチニール精製過程の写真なんぞも、載っております。サボテンの上でのどかに暮らしている写真も……

 キリヤ化学

へばりつく虫は気持ち悪くて……

先週リクエストがあったので、「エンジムシ」という生物について調べてみました。より正式な呼称は「カイガラムシ」というようです。

 カイガラムシ(介殻虫)は、カメムシ目・ヨコバイ亜目・腹吻群
 ・カイガラムシ上科(Coccoidea)に分類される昆虫の総称。
 果樹や鑑賞樹木の重要な害虫となるものが多く含まれるとともに
 いくつかの種で分泌する体被覆物質や体内に蓄積される色素が
 重要な経済資源ともなっている分類群である。

まあ、概略はそうなんですが。
注目点は、その生活スタイルでしょうね。

 アブラムシやキジラミなど腹吻群の昆虫は、基本的に長い口吻
 (口針)を植物組織に深く差し込んで、あまり動かずに篩管液
 などの食物を継続摂取する生活をするものであり、しばしば
 生活史の一時期や生涯を通じて、ほとんど動かない生活をする
 種が知られる。その中でもカイガラムシ上科は特にそのような
 傾向が著しく、多くの場合に脚が退化する傾向にあり、一般的
 に移動能力は極めて制限されている。

 マルカイガラムシ科などに属するカイガラムシでは、卵から孵化
 したばかりの1齢幼虫の時のみ脚があり、この時期には自由に
 動き回ることができるものの、2齢幼虫以降は脚が完全に消失し
 以降は定着した植物に完全に固着して生活するものがいる。
 こうしたカイガラムシでは、1齢幼虫以外は移動することは
 不可能で、脚以外にも体節、触角、複眼も消失する。
 雌の場合は、一生を固着生活で送り、そのまま交尾・産卵、
 そして死を迎えることになる。

虫というだけで苦手な方も多いかと思いますが、加えて寄生系、というわけです。手足も目も関節(昆虫の体節というと、まあ人間の背骨の関節、腰や首に相当する機構と思えば良いでしょう)も無くなって、植物にへばりついて、ただ口だけが残って、その姿で生きている、というイメージでしょうか。もう動物なのか何なのか、植物と一体化して何を感じているのかいないのか。
植物に寄生された虫も気持ち悪いですが、虫に寄生された植物も触りたくないですよね。

それなのに。

 熱帯や亜熱帯に分布の中心を持つ分類群であるが、植物の存在
 するほぼ全ての地域からそれぞれの地方に特有のカイガラムシが
 見出されており、植物のある地域であればカイガラムシも存在
 すると考えても差し支えない。

もしかして貴方のすぐそばにも!(ここで悲鳴ひびく)
ウィキで「カイガラムシ」を検索すると、写真でへばりついている様も見られますよ~

 現在世界で約7,300種が知られており、通常は28科に分類
 されている(ただしカイガラムシの分類は極めて混乱しており、
 科の区分に関しても分類学者により考え方が異なる。)

生物種の分類がけっこう怪しい事は、古くからの読者様はよくご存知かと思います。

ええっと、というわけで気持ち悪い生物なのですが、生物資源としての利用の歴史も古いのでありまして、次回はその話です。
気持ち悪い話を二週間引っ張るのかよ!

(mongol様、いまひとつキレの無い記事で申し訳ないです)

ちょっと忙しくしています

日曜日にはぽつぽつと記事を更新しておりますが、実は、だいぶ忙しくしています。バタバタは年末くらいまでは続きそうです。
ちょこちょこ更新はしている物の、それは公開予約機能を使って維持している物で、皆様にはすっかり、ご無沙汰しており、残念です。
先日、きちんと管理する余裕が無いからという事でスパム対策を強化し、コメントは承認後公開の設定にしていたのですが、それはそれで承認までに時間がかかってしまうので、また「全て公開」設定に戻しました。なかなかコメントが反映されないなーと思った方、申し訳ありません。
日曜の更新は維持していきたいと考えています。宜しくお願い致します。

  管理人 拝

カンパリってどんなお酒?

インゴ・マウラーという人がいます。照明デザイナーとして有名です。で、この人の作った照明のひとつに「カンパリ・ライト」という製品があります。注文すると、段ボールに裸電球と金具と、酒の瓶が十本ばかり入った物が届く。この酒が「カンパリ」という酒で、カクテルの原料となるリキュールの一種。瓶は透明で、酒は赤色透明をしております。この瓶入の赤い酒を、裸電球の周りに金具を使ってぐるりと取り付けると、赤いランプシェードの出来上がり。そのまま天井から吊るしてお使いください。カンパリライト。

 インゴ・マウラー製品取り扱い「スタジオノイ」

あ、よく見たら「カンパリソーダ」が入っているようです。失礼。

で、これに始めてお目にかかった直後、飲み会があって、その店でカンパリベースのカクテルを出していた。へぇ、どんなのかな? と思って注文してみたわけですね。

……苦っっ! 薬臭っっ!!

う、うーん。苦手だなぁコレ。
どういう酒なんだこれは?
ウィキりましょう。

 「カンパリ」
 カンパリ(Campari)は酒の一種。リキュールに分類される。
 色は赤く、苦みがあって甘い。
 (中略)
 カンパリの製法は明らかではないが、ビター・オレンジ、
 キャラウェイ、コリアンダー、リンドウの根など、60種類に
 昇る材料が使われていると言われる。リキュールの中では
 ビター系リキュールに入る。赤色の着色料としてコチニール
 (エンジムシから取れる染料)が含まれている。

「エンジムシから取れる染料」というところに激しく反応してしまった人もいるかも知れませんが、まあまあ落ち着いて。どうもハーブをいろいろ混ぜ込んだ薬用酒的な代物らしいですねぇ……どおりで薬っぽいわけだ。
紹興酒なんかもあまり得意ではないので、これは僕が苦手でも仕方ないのかなぁ、という感じですね。ちなみに……

 イタリアのトリノでバーテンダーをしていたガスパーレ・
 カンパリ氏(Gaspare Campari)が開発し、
 1860年、当時の流行に乗って「ビッテル・アルーソ・
 ドランディア」(オランダ風苦味酒)と名付けて売り出した。
 その後息子のダヴィデ・カンパリが「カンパリ」と名前を
 変えた。現在の製造元はダヴィデ・カンパリ社。輸入元は
 サントリー。なお、カンパリ社は、ヴェルモットのチンザノ、
 ウオツカのSKYYなどを傘下におさめる、酒造業界の一大
 グループとなっている。

ということで、発明者の息子さんが広めたようです。

 鮮やかな赤い色と苦味を特徴としており、通常何かで割って
 飲んだり、カクテルのベースとして使われることが多いが、
 ストレートでも飲むことができる。

輸入元であるサントリーもホームページで紹介していまして、

 ビターオレンジ、キャラウェイ、コリアンダー等数多いハーブを
 配合して作られたカンパリはイタリアを代表するリキュール。
 イタリアを連想させる美しい鮮紅色の液体とほろ苦さがどのよう
 な料理にも合うお洒落なヘルシーリキュール。現在、話題の
 カクテルとスプモーニが人気上昇中。
カンパリ - Liqueur&Cocktail - サントリー

なんか最後の一文が変ですが、まあ、こういう事らしい。

エッフェル塔は何してるの?

東京タワーはテレビ塔として建てられたんですよね。
では、パリのエッフェル塔は? 建造は19世紀末で、明らかにテレビは無いと思うんですよ。さっそくウィキります。

 エッフェル塔(仏: La tour Eiffel)は、フランスの首都
 パリのランドマークとなっている塔。フランス革命100周年
 を記念して、1889年にパリで行われた第4回万国博覧会の
 ために建造された。
 (中略)
 万博後には来訪者も減ったことや、当初の契約から1909年に
 は解体されようとしていたが、のちに軍事用の無線電波を
 エッフェル塔から送信することになり、そのため国防上重要な
 建築物ということで、現在に至るまで残っている。

ということで、建造当時は完全なモニュメント。
何の仕事もしていなかったことになります。うどの大木。
なお、現在は放送用アンテナがついているとの事。
それで10mぱかし背が伸びているそうです。

なお、以下のような記述も。

 設計者はステファン・ソーヴェストル、モーリス・ケクラン
 である。ギュスターヴ・エッフェルは建設を請け負っただけ
 であるが、この塔の名前の由来になった。

なんでそんな事になるのか。

 建設は万博に間に合わせるため2年2ヶ月という驚異的な速さで
 行われたが、一人の死者も出さなかった。

「プロジェクトX」は、こういう海外の事例も扱うべきだったとつくづく思います。

 あまりに奇抜な外見のため、建設当時は賛否両論に分かれた。
 反対派の文学者ギ・ド・モーパッサンはエッフェル塔1階の
 レストランによく通ったが、その理由として「ここがパリの中で
 いまいましいエッフェル塔を見なくてすむ唯一の場所だから」
 と言っている。ここから、「エッフェル塔の嫌いなやつは、
 エッフェル塔に行け」ということわざも生まれた。

ちょっとニュアンスは違うけれど、「灯台下暗し」みたいな。
モーパッサン、実は新名所の事が気になっていたのでは……とか思っちゃったりもします。

安倍晋三前総理の経歴

もうネタ的には賞味期限切れかけかなとも思いますが……福田新首相の登場で、安倍さんの経歴がこんがらがってきた。安倍さんって内閣官房長官だった気がするんですが、別の記述で「福田が官房長官、安倍が官房副長官」と書いてあるのを見たりして、あれれ、あれれ。

 森喜朗首相が組閣した2000年の第2次森改造内閣で、後に次期
 首相となる小泉純一郎に推薦され、内閣官房副長官に就任。
 森政権の後を受け、2001年に成立した小泉純一郎首相の
 第1次小泉内閣でも引き続き内閣官房副長官を務める。

ちなみに、このとき福田さんは同じく小泉さんの推挙で官房長官に就任しています。ただ、福田さんは国民年金保険料未納問題で、小泉政権の中途で辞任。その結果、

 2005年10月31日付で発足した第3次小泉改造内閣では
 内閣官房長官を務める。

ということになったようです。
ちなみに、他にも要職経験があるようで

 2003年9月、小泉首相によって自民党幹事長に抜擢された。
 当選3回で、大臣経験もない若手議員が党幹事長に就任するのは
 前代未聞のことであるが、苦戦が予想される同年11月の総選挙
 のために安倍の「人気」が必要とされたためと見られた。
 11月の総選挙で自民党は絶対安定多数の確保に成功した。

という経緯で、内閣官房長官だけではなく、党幹事長もやってます。

 幹事長時代には自民党内で恒常化していた「餅代」、「氷代」
 (派閥の長が配下の者に配る活動資金)の廃止、自民党候補者の
 公募制の一部導入など党内の各種制度の改正を行った。
 2004年の参議院選挙では目標の51議席を下回れば「一番
 重い責任の取り方をする」と引責辞職を示唆。結果は49議席で
 しばらく現職に留まった後で辞任した。同年9月から後任の
 幹事長・武部勤の強い要請を受け党幹事長代理に就任。
 幹事長経験者が幹事長代理に格下げになるということも大変異例
 なことだった。その幹事長代理として迎えた05年衆院選では
 保守派弁護士の稲田朋美を「刺客」(「抵抗勢力」に対する
 対抗馬、福井1区の松宮勲への対抗馬)にスカウトした。

と、まあ批判されることもしてますが、この記述の印象では有能な感じです。決してまったく無能な人ではなかったのかもなと思うのですが。なにぶん線が細すぎたのか。
なお、福田さんに関する記述もなかなかサービス旺盛で、

 2000年10月に第2次森内閣で、愛人への捜査情報漏洩が
 問題視され辞任した中川秀直に代わって内閣官房長官に就任
 する。当時森派会長だった小泉純一郎が「本人の能力、人間性、
 人格などすべてを勘案し、今の時点で一番適任」、と考え推薦
 した。推挙閣僚経験が皆無であったにも関わらず、森内閣で
 官房長官に起用されたことに疑問の声も上がったが、無難に
 調整役をつとめた。森内閣においては首相の失言の弁明に
 追われることも多く、「弁明長官」と呼ばれた。

 その後小泉内閣では2度にわたる内閣改造でも留任。在任期間
 が延びるにつれ、首相に直言できる女房役としての存在感は
 次第に増していくことになった。
 実務能力には定評があり、官邸主導の政治体制が確立していく
 中で、政府各省や与党との調整に力を発揮した上、本来の得意
 分野である外交における存在感も徐々に増していった。小泉内閣
 では、外務大臣田中眞紀子と外務省官僚との軋轢を巡る騒動の
 中で外務省が機能不全に陥った時は、大臣の頭越しに自ら外務省
 事務方への指示を行った。そのため、外務官僚が外務大臣よりも
 まず官邸に赴くことが常態化したため、「影の外務大臣」などと
 囁かれた。福田自身は「影の外相、影の防衛庁長官。いろいろ
 名前はありますが、まあ、しょせん影ですから」などと語っていた。

とぼけた受け答えもうまい。

ところで、福田さんを「弁明長官」にした張本人、森さんですが、なんか隠然たる勢力を持っている感じがする。ありゃ何だ? と思っていたのですが、AERAの記事によると、わりと細やかで面倒見がいい人だそうですね。身銭を切って部下を励ましたり、若手と自分からふれあうようにしたり。それで、なんとなく彼がいるとまとまるというか、別に凄く切れるってワケじゃなくても、兄貴肌、親分肌らしいです。

ふーん。

什器の「什」

先日、勤め先のエレベーターに「○月×日は什器類の移動にエレベーターを使うので、ご理解ください」とある。うん? 什器って、食器とかだべ? 食事する場所じゃないよね?
什器という言葉の意味を取り違えていたかな。

 じゅう‐き【什器】
 日常に使う器具。什物。什具。(国語辞典)

そうか。食器に限らず、身の回り品の事か。
でも、オフィスの移動って、動かすものは机とか書類とかパソコンとかですよね。
「器」という字のイメージと、いまひとつ噛み合ないのですが……

なお、こっちでも調べました。


どどーん。

これによると「什」という字の原義は、そのまま「十人」という意味で、十人一組での集団責任制度などを指すこともある字だそうです。また、「集」「雑」などと通じ、あれこれ取り集める事、を表すそうです。

どういう文脈だったか忘れましたけど、あるとき私が「什器類が揃わないからねぇ……」みたいなセリフを吐いたわけです。そうしたら、周囲が一瞬けげん、というかギョッとした顔をして、それから笑って言うわけです。「松尾君が『ジュウキ』って言うと『銃器』にしか聞こえない」と。

僕はどんな人なんですか。

米を巡る制度の変遷

ふと思ったわけです。そういえば米の扱いって変わったよな。自主流通米とか。輸入米とか。昔は米を全て政府が買い取っていたけれど、今はもう止めてしまったのかな?
ウィキろう。

 食糧管理制度は、日本における主食である米や麦などの食糧の
 価格や供給等を国が管理する制度をいう。1942年制定の食糧
 管理法(いわゆる食管法)に基づき創設された。同法は1995年
 に廃止され、代わりにいわゆる食糧法が制定されたことを受け
 食糧管理制度の呼称も食糧制度と改められた。また、2004年
 にはその食糧法に大幅な改正がなされるなど、制度の内容は
 時代と共に大きく変化してきている。

とりあえず法律が変わったんですね。

 1994年(平成6年)12月14日、主要食糧の需給
 及び価格の安定に関する法律(いわゆる食糧法)が公布、
 一部の条項を除き翌1995年11月1日に施行され、
 これに伴い食糧管理法は廃止となった。

この新法ですが、自主流通米の存在を許すというだけで、政府が購入、販売する部分もあるようです。また改正の理由のひとつとして、1993年に「コメ不足」が問題となり、コメの緊急輸入による国際価格の混乱などを招いたことなどがあるため、米の備蓄量を増やすと言った内容も盛り込まれているようです。

 食糧法を大幅に改正する主要食糧の需給及び価格の安定に
 関する法律等の一部を改正する法律(平成15年法律第103号)
 が2004年(平成16年)4月1日に施行され、従来からの農業
 従事者に限らず誰でも自由に米を販売したり流通させることが
 出来るようになるなど、1995年の食管法廃止・食糧法制定に
 匹敵するような制度改革が実施された。この大幅改正後の
 食糧法は、それまでの食糧法と区別するため「新食糧法」
 あるいは「改正食糧法」と呼称される。

なお、「減反政策」の項目に以下のようにありました。

 ・1994年~
 生産調整が強化され続ける一方で、転作奨励金に向けられる
 予算額は減少の一途をたどり、「転作奨励」という手法の
 限界感から、休耕田や耕作放棄の問題が顕在化し始めた。
 このような状況の中、食糧管理法が廃止されて食糧法が
 施行され、制度が下記の様に大幅に変更された。

・政府の米買入れ目的は価格維持から備蓄に移行。
 これに伴い、買入れ数量は大幅に削減。
・米の価格は原則市場取引により形成。
・生産数量は原則生産者(実際は農業協同組合を中心とする
 生産者団体)が自主的に決定。

価格維持のための政府買い上げ、という面に限定すれば、もう行わないという事らしいです。

サイバーシンって何???

何も申しません。とにかくこれをご覧ください。

 wikipedia「サイバーシン計画」

 サイバーシン計画 (サイバーシンけいかく、Project
 Cybersyn) は、サルバドール・アジェンデ政権期間中
 のチリで1971年から1973年にかけて行なわれた実時間の
 コンピュータ制御による革新的な計画経済システムの試み
 である。 これは首都サンティアゴにあるコントロールセンター
 の単一のコンピュータとチリ各地の工場とをテレックスで接続し
 サイバネティックスに基づく制御を行うことを目指していた。
  システムの基本設計はオペレーションズ・リサーチの研究者で
 あり当時の経営へのサイバネティックス応用における教祖的存在
 でもあったイギリスのスタフォード・ビア (Stafford
 Beer) により行なわれた。

つまりですよ。
1970年代に、国家の経済のすべてをコンピュータにより管理するシステムが、遠くチリの地で計画されていたというんです! 国中の生産拠点にコンピュータ(ハードディスク何十メガバイトとかですよ)を設置し、インターネットも無い時代に「テレックス(どんだけ通信速度遅いのかと)」で国中を結びつけ、現代の我々ですら実現しようと思わないような、壮大な計画がなされていたという事です! ほとんどSFですよ!

 1970年に、人民連合のリーダーとしてマルクス主義者の
 アジェンデが大統領に選出されると、政権はチリ各地の工場や
 鉱山など生産手段の国営化を社会主義化の最優先事項として
 実行した。政権当初の1970年にはケインズ的景気刺激策など
 が試され雇用の拡大と大きな経済成長がみられたが、アメリカの
 経済制裁と主要輸出品である銅の価格の下落、国内での労働者
 のスト、国有化を望まない企業経営者の反対、さらに新たな国有
 企業運営の困難さなどから1971年には経済状況は既に大きな
 危機に瀕していた。
 このような状況で、チリ経済開発公社(CORFO)の技術部門
 の責任者であり当時まだ 20 代であったフェルナンド・
 フローレスは、ソ連式の中央集権的な計画経済に代わるもの
 として、より見通しがよく柔軟で迅速な経営システムを模索
 していた。 学生時代の経験からスタフォード・ビアのサイバネ
 ティックスを基とした経営理論に通じていたフローレスとアド
 バイザーのラウル・エスペーホ (Raul Espejo) は
 1971年に新たなシステムの設計をビアに依頼するとともに
 サンティアゴへと招聘した。

こうして運命の男、ビアは南米チリに降り立った。

 ビアらにより立案された計画は、南北 4,600km に
 及ぶチリの長い国土に散らばる生産設備と通信するために
 国土を電子的ネットワークで接続し、日々送られてくるデータを
 元にサイバネティックスの理論を用いて生産を調整しようという
 野心的なものであった。 やがて英語圏で「サイバーシン」(Cybersyn)
 チリで「シンコ」 (Synco, Sinco, Cinco) と呼ばれるようになった
 この計画に対してビアが与えた「経済へ電子的な神経システムを
 移植する」というアナロジーは、医師でもあったアジェンデ大統領
 に対して計画をアピールするのに大きな効果があったようである。

人間の体に神経が走って自在に動くように、国家の国土にもテレックスの神経網が駆け巡り、あたかも走れば自然と心拍が上がり、血糖値が下がれば自然と肝臓から糖分が放出されるように、国家が一人の人間のように動き出そうとしていた。チリの国土を走る道路が巨大な人造人間の血管のように脈動し始めようとしていたわけです!

で、どうなった?

 大統領官邸に新しいサイバーシンのオペレーションルームを設置
 するための測量が行われた翌日 1973年9月11日、
 ピノチェト将軍に率いられた軍事クーデターが発生し官邸は
 銃撃戦の舞台となった。 クーデターの成功後、このシステムの
 オペレーションルームは直ちに破壊され、現在「社会主義者の
 インターネット」とも形容されるこのユートピスト的な試みは
 長らく忘れられることとなった。

いと悲し。
皮肉にも本格的な経済運営には大きな成果を上げることはなく、アメリカの支援を受けたストライキに際して、政府に協力的な運輸業者をテレックス装置によって組織し、巧みに運営する事でストライキを失敗させたという実績のみを残したようです。

 「オプスルーム」
 (サイバーシンの)オペレーションルームであり、ドイツのグイ
 ボンジーペ (Gui Bonsiepe) らによりデザインされた。
 SF 映画を思わせる近未来的な外観を有しており、 6 角形
 の部屋に 7 脚の特殊な回転イスが備え付けられていた。
 このイスの肘かけには小さなコンソールがあり、これは壁に備え
 付けられた大型スクリーンとパネルとを制御した。 この
 スクリーンにはリアルタイムで例外的な事象のレポートが
 表示されるようになっていた。

これが恐らく、破壊されたオペレーションルームでしょうね。
まあ、ある意味、小売業のPOSシステムなんかは、これの現代版で、さほど驚く必要は無いのかも知れませんが、かなり面白いはなしだと思います。