コンドルセってどんな人? | 雑学大典

コンドルセってどんな人?



最近、コンドルセという人について勉強する機会がありました。フランスの思想家です。以前の僕の認識では、ものすごく楽天的に、人類の進歩を信じていた人。進歩主義者。この時点で、僕の興味の対象からは落ちていました。
しかし、最近勉強した所では、この人はフランス革命政府で一時は公教育の立案に関する主導的な立場(ここで教育に興味のある松尾は興味を引かれる)に立っており、しかもその後は自分の属する派閥の没落と共に立場が悪化し、ついには逮捕状がでて逃亡の身となるに至り、その命がけの逃亡生活の中で、なおかつ「ものすごく楽天的に、人類の進歩を信じていた人」だと知って、強い興味を持つに至りました。よーし。調べてみよう。

 コンドルセことマリー・ジャン・アントワーヌ・ニコラ・ド・
 カリタは、フランスの数学者、哲学者、政治家。

おおっと。いきなりきた。
「コンドルセこと」ってことは、本名じゃなかったのか。

 ドーフィネ(Dauphine)のCondorcet伯であることから、
 Marie Jean Antoine Nicolas de Caritat CONDORCETと
 呼ばれ、日本では「コンドルセ」と略称されている。

地名、なのかな? 「コンドルセ伯」っていうのは。

 1765年「積分論」を刊行、1769年パリ王立科学アカデミー
 の会員に推挙された。啓蒙思想家の大家と親交を深め、
 百科全書に独占的買占などの経済学の論稿を掲載した。
 1770年代には解析を中心とする数学の理論研究の傍ら、
 1774年から1776年にかけて財務総監ジャック・テュルゴー
 の片腕として政治改革に関わる。

フランス革命前からある程度政治に関わっていたんですね。

 テュルゴーの改革は挫折に終わったが、政治と科学双方を射程に
 入れたコンドルセの思想はその後深化を遂げ、1780年代に
 「道徳政治科学の数学化」もしくは「社会数学」という学問
 プロジェクトに着手することとなる。道徳政治科学とは、
 当時まだ明確な学問的輪郭を与えられていなかった経済学の
 源流の一つであり、啓蒙思想の知識人達に共有されていた問題
 関心であったが数学者達の関心をも集めていた。

へぇ、経済学とも関わりがあるんですね。天才は射程が広い。

フランス革命以降のウィキペディアの記述は分かりにくいのですが、「ヴェルネー夫人宅の9月間の隠遁生活中のとき『人間精神進歩の歴史』を執筆」とあり、逃亡生活と言っても一カ所に潜伏していたらしいことが書かれています。最後は逮捕され、獄中で自殺とのこと。そのとき、51歳。
また、以下のような記述も。

 妻はアダム・スミスやトマス・ペインの主要著書を最初に本格的
 にフランス語翻訳したことで知られるソフィー・ド・グルシー。
 聡明な彼女の存在は女性参政権などコンドルセのフェミニズム
 思想に少なからぬ影響を与えたと言われている。

非常に重要な著作を翻訳している。これは凄いですね。相当なインテリです。

このコンドルセの教育に関するプランは、その後数十年してからほとんどの先進国の公教育プランに取り入れられたとのこと。彼が命がけで作ったシステムなのだと思うと、無闇に批判できないような気持ちにもなります。
僕にとっては、コンコルドと混ざってよく分からない、という程度の思想家だったんですが(笑)
詳しく知ってみると、思いのほか深い。